第134回【相模の国=平塚市 篇 全国区強豪が雌雄を決すエリアの謎を解析する】

小森黄門ちゃまの業界漫遊記 第134回

【相模の国=平塚市 篇 全国区強豪が雌雄を決すエリアの謎を解析する】

 

さて前回の厚木を巡察した故、ついでに南に下がって平塚まで下りて来たわぃ。
懐かしいのぅ、昔々、更に隣の伊勢原まで毎月脚を延ばしに来ておったから、その際たまに平塚まで送ってもらったことも有る。
こぼれ話じゃが、20年前の平塚駅周辺といえば、相模の中心として風俗のメッカであったわ。
今は人口が258,000人まで増えたにもかかわらず、駅周辺は逆に閑古鳥じゃ。いったいどう成っちょるんじゃろうのぅ。

その代わりに駅前には無かった大型のパチンコ店が2軒出来ておる。
「スーパーD’ステーション」(1000台)と「キコーナ」(780台)がそれじゃ。
更になんと!あれ程超高稼働しておった「ACT」が店の権利を「パールショップともえ」(606台)に譲ってしもわれた。
今日はやがて5年ぶりにこの中核都市=平塚を一所懸命廻ってみることに致そう。
(※現代では「一生懸命」と変換されるようじゃが、本来は鎌倉武士が“御恩と奉公”の関係で幕府から頂いた土地に命を懸けるという意味じゃから、本来は「一所懸命」じゃ(笑))。

 

━三幕の平塚エリアの歴史━

❶ ここで平塚の主な遊技場の変遷を見てみよう(※現存するホールのみ)。
ⅰ)70.10月~  ニューグランドホール(318台)※現在は西武観光の経営
ⅱ)96.12月~  グランドホール金目(647台)※千歳観光の経営
ⅲ)97.7月~   マルハン平塚(550台)
ⅳ)98.3月~   シンセー八億田村(355台)
ⅴ)04.12月~  Jaran平塚(888台)
ⅵ)06.4月~   GAIA平塚(745台)
ⅶ)10.8月~   二ラク平塚黒部丘(592台)
ⅷ)12.11月~  キコーナ平塚(780台)
ⅸ)14.12月~  スーパーDステーション平塚駅前(1000台)
ⅹ)17.8月~   パールショップともえ平塚(606台)

という具合じゃ。
ⅰ)のグランドホールは平塚駅周辺では駅から一番遠い位置に有る故、これをみると平塚ではあれだけの繁華街が在りながら、遊技場に向くそこそこの広さの土地が駅近くには無かった!という事が推測されよう。
ⅱ)のグランドホール金目こそは、平塚→ 伊勢原へうんと離れた場所にある川沿いの店じゃが、昔から羨ましいくらいの繁盛店じゃった。
なんでも底地地主がジャパンニューアルファのオーナーである小巻氏というから、いかにも神奈川の歴史を背負ったような店であろう。
そしてⅲ)のマルハン平塚のグランドによって一気に“平塚戦争”の幕が切って落とされたと云えるのじゃろう。

以上が、平塚遊技場マーケットの『第一幕』となる。

 

❷ 「マルハン平塚」は厚木に向けて北に真っすぐ延びる国道129号沿いにある。
元々はここに在った運送会社がもっと北に移転したために、その跡地に借地して出来た“中型店”である。
元々、129号の平塚市内は「シンセー八億平塚」(354台)の牙城であった記憶があるが、そこに“メス”を差し込んできたのがマルハンという“大物”だったという訳じゃ。

元々、マルハンの神奈川進出と云えば、なんと県の西端の秦野市からじゃったのだ!「(秦野)平沢」→「秦野元町」と来たあとは、「(相模原)橋本台」→「平塚」→「厚木」と3店立て続けに国道129号に関係した出店が続いたことが、今となれば懐かしい。
それほど同社にとっては129号はベンチマークすべき「縦の」重要幹線であったことが窺がい知れよう。

ところがじゃ、これほど“キレイに”出店できた「平塚店」がそのうち案外“苦戦する”状況が見られたのじゃよ。
2004年頃からじゃったか、低玉貸しの島がやたら増えて、アレッと思った記憶がある。
おそらくその頃できたⅳ)の「Jaran平塚」が“異常ともいえる程”高稼働で大成功したことの影響が有ったんではないか?とワシは推測しておる。

そうこうするうちに、大阪のダイエイグループ(※現在の㈱HOG)のやっておった「BIG BOX」が2006年に「GAIA平塚」(745台)に変身して来た。
まさに「マルハン平塚」に勝負をかけたような出店である。
いま思い起こせば、今日のGAIA殿の破竹の如き大型店攻勢の“出発点”はどうもこの平塚あたりにあった!と見る事もできるのではあるまいか?
GAIAが出店した田村十字路というエリアは、相模川を挟んで東隣の寒川町の「MONOS」殿の2軒と容易に行き来できる場所なので、遊技場にはもってこいの立地であろう。

以上の2006年までが、平塚遊技場マーケットの『第二幕』である。

 

❸ 『第三幕』は2010年の「二ラク平塚黒部丘」(592台)の、平塚駅西1kmへの出店で幕を開ける。
元々運送会社のJR線路際の基地であった場所である、国道129号とは全く異なる平塚駅より南の海側への出店という点で大いに注目されたものである。
実は大磯町との境の海沿いに「平塚プラザ」という、これまた“シブい”玄人好みの店が在る事は在ったのじゃが、この店は大磯町の為に在るようなもので、およそ平塚市民がワザワザ行くような場所では無かったとも云える。
そういう点で「二ラク」はJR東海道線より南側の住宅地を“独占”できる立地であったわけじゃ。
案の定、グランドオープンから安定した好調ぶりで、実のところ結構稼がれたことであろう(笑)。
この二ラク殿の“煽りを喰らった”かどうか分からんが、当時平塚駅に一番近かった「SEIBU=OZAKYU」という店が2013年には閉店いたしておる。

そしてかねてより駅直近の地元旧:「梅屋百貨店」の隣の空地であった200坪ほどの場所に「キコーナ平塚」が出店してきたのが2012年11月のことである。
しかも2011年からは〈パラッツオ出店予定地〉の大きな看板が掲げられていたものだから、アッと驚く出店者の交替によけい注目を集めた事をよう覚えておる。

この場所は七夕祭りでは日本一の約のべ300万人を動員すると云われる平塚一のメイン商店街=パールロードの、ど真ん中である。
ところが開店時の出玉感が上手く出せなかったからか、案外グランドから“苦戦続き”で、いまだに本来の立地条件を活かし切れておらんとみる。
ちょっともったいないのぅ。

 

❹ そうこうするうちに、なんとキコーナ殿から70m先の元:長崎屋の跡地に「スーパーD’ステーション」が2フロア1000台の規模で進出してきたものじゃから、『第三幕』はもうシッチャカメッチャカというものであろう。
実はパラッツオ殿が出店を急遽取り止められたのも、こうしたD殿の動きを察知されておったからのようじゃ。
なんせ敷地規模ではD殿の方が1.7倍の広さじゃからのぅ。
駅前型店舗で(駐車場無しでの)1000台店舗というものは、大都会の横浜、川崎でも滅多に無い!というから、平塚に於けるD殿のこの1000台というのは、相当な“気合い”の入れようというものであろう。

結果はこの“決断”が良い方に流れて、一躍D殿は平塚駅近辺での『一番店』に躍り出る事に成った。
ところがその結果、永らく駅前型では不動の一番店であった「ACT」(閉店時582台)を直撃することに成ってもうた。
遂に本年5月には「ACT」の店名のままで、千葉県最大手の「パールショップともえ」殿に経営の交替が行われ、7月からは〈ともえグループ〉のイーゼル、チラシで告知されてはおったが、この盆前から看板の方も「ともえ平塚店」に付け替えられる事に相成った。

さあ、いよいよ平塚駅周辺については“最終戦争”というヤツじゃろう。
日曜の今日17日の客入り状況を見ても、ともえ殿は7月よりは多少お客が増えておるようじゃが、まだまだD殿の人数には程遠いものがある。
ま、賃料は安いそうじゃから、「ともえ」殿も市場把握しながら焦っちょらんのじゃろうて。
年末ぐらいが楽しみじゃのぅ。

 

━Jaran平塚安定稼働の神髄━

❺ 以上、駆け足で平塚の主要な遊技場を廻ったわけじゃが、総合公園近くの「Jaran平塚」が一番安定した集客をしておるのは、12年前から基本的に変わっておらん。
マルハン、GAIA、二ラク、キコーナ、Dステ、ともえ等の大手が、ほぼ全て平塚に出店しておるにも拘らず、この「Jaran」を超えるものは出ておらん!
何がそうさせるのか、無性に解析したくなるわぃ。

最大の要因はやはり『立地』じゃ。
なんと「平塚市総合公園」の西側以外は、殆ど近代的な大手企業の工場地域なのじゃ。
第一三共、田中貴金属、日産車体、パイロットetc.・・・考えたら東海道線の快特の停車する25万都市で、駅からわずか1km北側にこうした広大な工場地域が拡がる都市というのも、考えたら珍しいのではあるまいか ⁉

ワシの記憶では、東京の昭島~青梅にかけてと似ておるが、平塚の方がずっと街は大きい。
なるほど、平塚~厚木にかけては神奈川県中部の「工業中核都市」じゃったのか。
どおりでこの2市は、[夜間人口] < [昼間人口]という謎が解けたわぃ。

更に昔のことを調べてみたら、この「総合公園」とやら、何と戦前この一帯は旧:日本軍の武器弾薬を造る工廠だったというではないか。
どおりで戦後、都市計画でもこんな“一等地”を工業地域に指定するという流れに成ったわけじゃな。

Jaranの周りには大工場が多いというだけではない。
この「総合公園」の傍を、「伊勢原行き」「田村十字路行き」の神奈中バスが、毎日ほぼ5~6分おきに走っておるではないか!
こんな工業地域も全国では殆ど無いぞ。
よって以上の事から、国道129号沿線よりも、「Jaran」の出店した立地は優れた場所であるという解析結果になるわけじゃ。
いやはや、かかる立地をJaranの永森殿に紹介して、13年前に880台の大型店で建築させた知人の窪田という設計士には、友達ながら改めて脱帽するしかあるまい。

 

❻ やれやれ慣れぬ相模の地を二週連続で動き回って、ちっとは“湘南”ちゅうモンが分かって参ったわ。
改めて「相模川」という川の果たす役割の大きさを前にして地にひれ伏すしかないわなぁ。
ついでに大日本史の編纂の過程で判明したことを少し漏らして今回の巡察の終了と致すか。

それは平塚の西隣の「大磯町」についてじゃ。
大磯と云うと一番浮かんでくるのは、大戦後の首相としてサンフランシスコ条約に漕ぎ着けて戦後の日本復興の道筋を付けたと云われる「吉田茂」の別邸の在った街ということではなかろうかのぅ。

いや吉田茂だけではない。
明治の元勲と云われた連中共は悉くその大磯に別荘を持っておったのじゃ。
かつては政財界人の別荘だけで150軒も在ったと云われる。

ところがじゃ、大和朝廷の初期に高麗(※今の北朝鮮を含む)から参った渡来人たちの“コロニー”として最初に集めた所が、実はこの大磯だったらしいのじゃ。
その後、武蔵の日高、高麗川あたりに移住させたようなのじゃ。
案外に大和の時代より我が日本は外国との交流が盛んであったようじゃな。
つまり湘南地方は、奈良・京の朝廷人からすれば〈東(あずま)エビス〉の地の様に見えたかもしれんが、実際は畿内に負けることの無い経済力のあった地域であるらしいのである。
特に鉱物資源、鉄器などの生産拠点としては、都の者どもが思う以上に発達しておったと云う事じゃ。
さすれば、厚木、平塚も北条早雲の小田原城下の時代にも重要な拠点都市だったのかもしれん。

平塚遊技場“劇場“の『第四幕』は起こるのか・・・

 

▼スーパーD’ステーション平塚 旧:長崎屋の建物を解体し、更で新築。

▼パールショップともえ平塚

経営権取得から3カ月後にやっと「店名」を変えたという、珍しいケース。

▼キコーナ平塚 やがて5年に成り、徐々に認知度が上がって来ているか。

 

▼二ラク平塚黒部丘 平塚駅周辺の遊技場に影響を与えてきた、”平塚の乱”の発端と成った店。

▼ジャラン平塚 12年もの間、平塚一番店を維持し続けて来た”怪物”店舗。

カテゴリー: パチンコ,マーケティング,注目ホール,注目市場

2s Comments

  1. 先生へ

    ワシの記憶では、東京の昭島~青梅にかけてと似ておるが、平塚の方がずっと街は大きい。・・・

    かつて昭島サンプラザ(大石商事)、拝島モナミ(Dステ阿施さんの店)、福生パレス(エース商事)

    河辺、瑞穂ロッキー(平山企画)などは4万~5万稼働あった店舗が準大手~大手のマルハン、

    キクヤ、ニラク、ダイエー(現フェイス)などの出店で撤退に追い込まれ、地場のオザムも小型店は

    諦め赤字ならなければ無借金だから良いと割り切り、オリエント、サンフラワーなどは歯わ食いしばり

    そこそこの稼働をしています。

    平塚から相模原方面と例えのように酷似してますね。

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