第160回 【相模の国=相模原市中央区 パチンコ史に燦然と輝く聖地 篇】

小森黄門ちゃまの業界漫遊記 第160回

【相模の国=相模原市中央区 パチンコ史に燦然と輝く聖地 篇】

 

 

これまた灯台下暗し、と云うべきかは。
今日廻ってみる相模原市については「漫遊記」に記した事が無かった!とは驚きじゃな。
相模原市と云わば1995年の 「P-ARK」(出来た当時は482台、現在は「P-ARKピーくんステージ」)や1997年の「コンコルド相模大野」(出来た当時は829台)という、2店舗がキラ星の如く業界誌を賑わせておった事は、この業界人なら断じて忘れてはならない“業界の一大ニュース”なのである。

あれからはや20年以上の歳月が過ぎて、上記の2店舗がそれほどまでにこの業界にとって、或る意味“画期的”であったことを忘れてもうたカタも多いと思うが、果たして今どうなっちょるのか?と、改めて強い興味を持った次第である。

 

■「P-ARKピーくんステージ」の何が凄かったか?と云われれば、ワシもウル覚えでしかないが、

ⅰ)当時唯一の“関東環状道路”であった〈国道16号〉に面した本格的な郊外店舗であったこと。
ⅱ)店内に入るといきなりgalleriaの如き天井まで吹き抜けの空間が広がって来る、2階建て店舗であったこと。
ⅲ)2階までの階段は幅6m位もあって、開放感のあるテラスといった感じじゃったというべきか。
その階段を使って、スタッフのパフォーマンスなどもやっておった。
ⅳ)階段を挟んで左右2ケ所に店舗が分かれるカタチをとった訳じゃが、この2店舗の間にコンビニ=ミニストップを誘致するという、当時画期的なアイデアであったこと。
さすが当時日遊協の会長をされておるだけの“都会風のアカ抜け感創造”の名人であると,当時誰しも感服した。
ⅴ)将来1000台に増台できる前提で、初めから大箱をこしらえていたこと。
ⅵ)ピーアークの隣の「酒のDISCOUNT店」とレストランの「BIG BOY」でも、日本レジャーカードのPAQYカードが共通で使えるように、両店にカードREADERを据え付けたこと。

以上、今にち考えてもこれだけのことをやり切れておる店は滅多に見かけるものでは無い。

 

■「コンコルド相模大野」の場合は何が凄かったのか?

ⅰ)一日の乗降客数が129,000人という小田急の〈相模大野駅〉北口に、立体駐車場540台(当時)完備した豪華な大型店がいきなり出現したこと。
当時は渋谷の「マルハンパチンコタワー」が話題をかっさらっておったが、神奈川の大きな駅前で駐車場500台付の“郊外店みたいな”大型店ができたというのは、関東では画期的であったわぃ。恐らく関東初だったのではあるまいか。
ⅱ)しかもその建物と云うのが、当時『ユーコーラッキー』殿など九州の強豪企業が使っていた河野設計の河野大先生の作品ときたから、これまたシビレたわぃ。関東では見たことも無い様な石張りの豪華な建物じゃったからじゃ。
ⅲ)更に豪華な店内には『ギンパラ』が40台近く入っておったので、またビックリじゃ。あとで本社の幹部から聞いたのじゃが、アタッシュケースに現金を詰めて、なんと北海道までも“ギンパラ買付ツアー”を行って買い集めたというから、またまた驚き桃の木山椒の木じゃ(笑)。

 

 

❷ どうじゃ、今改めて当時の相模原を振り返ってみると、今より20年以上前の当時の方が遥かに刺激に満ちていたとは思わんか。

ところで今回【初めて】相模原の巡察紀行をモノしてみるわけは、最近改めてこの相模原界隈が急に“忙しく”成ってきたからじゃ。

過去4年間を振り返ってみれば・・・
➀「キコーナ相模原」(800台)がJR古淵駅から徒歩10分の国道16号沿いに、2014年4月新規出店。元ゲームセンターの居抜きじゃ。
②「AVIVA淵野辺」(240台)がJR淵野辺駅前に2017年8月、居抜き出店。元「シルクロード」の居抜きじゃ。
③「ダイエー相模原」(620台)が2017年9月に閉店撤退。現在は更地となって他の業種のビルが出来るのであろう。当初は福岡の『FACE』殿が新規出店するという噂も聞いたが白紙に成ったのであろうか。
④「チャンピオン田名」(432台)が、屋号も設備もそのままで『㈱城栄産業』➡「福日観光㈱」に経営が委譲される。
⑤「パールショップともえ淵野辺」(520台)が『コンコルド』の居抜きで新規出店。看板の付け替えと、㈱ビショップのオリジナル椅子への変更で、2018年4月のGW直前にグランドオープン。

とまぁ、こんなところじゃ。
過去4年間のこの程度の“変動”であれば、昨今、全国の他の地域でも起こっておる変化かも知れん。
じゃが、ここは神奈川の“パチンコ店のブランド”=相模原市であるぞぇ。
控えおれ!競馬に例うれば【GⅠレース級】の馬揃えである。
GⅢクラスの闘いとは格が違うわぃ。順次見て参ろう。

━相模原各店の状況━

 

➀の「キコーナ」殿は、4年前に出店された際には、駐車場の絶対数が足りない!ということで苦戦されたモノじゃが、今回再訪してみて稼働が相当上がっているのには驚きじゃ。
やはり『金馬車』20店舗を取得され、優秀な人材を多数獲得されたことが大きく作用しているのではあるまいか。
こうしてみるとやはり相模原というのは“ブランド”じゃのぅ。

 

②の「AVIVA」殿はJR淵野辺駅の真正面と云う事もあって、アビバ殿が入居されて安泰じゃろう。

 

③の「ダイエー」殿の撤退により、相模原市の中心部は「やすだ」(500台)、「ダイナム」(680台)、「SAP」(608台)の、大手3社の店舗を中心に、あと数店舗の地元勢が残って安泰じゃな。
「やすだ」殿は「P-ARK」とほぼ同時期の1994か1995年に新規出店して以来、もう二十数年間ずーと地域一番店の繁盛ぶりじゃ。
人材の層の厚さと云うべきか、とにかく溜息しか出て来ぬわぃ。

 

④の「チャンピオン田名」こそは実は“隠れた”名店と云うべきなのやもしれぬ。
「P-ARK」や「やすだ」殿よりも更に古く90年代の初めには大阪から出店為されていたみたいなのじゃ。
じゃが、近くの田名工業団地の中に「マルハン相模原店」(960台)という“超優良店”が出来てからは 苦戦気味だったのじゃろうな。
遂に昨年暮れに新小岩本社の福日観光㈱に経営を委譲されてもうた。
ワシも十数年前に南林間駅近くにもあった店で谷山会長にお会いしたことが有るが、これで経営するホールが無くなってしまうという事で、こみ上げる想いは如何ほどのモノであったろうなぁ。

しかし福日観光殿も強気じゃのぅ。
相模原の古豪店の店名を変えずに営業の立て直しを図られるとは!500m先の「マルハン相模原」は出来て15年間も常に高稼働を続ける、マルハンでも指折りの優良店=『ドル箱店』であるだけに、逆に充分まだマーケットの余地は残っちょると読まれた訳じゃな。
是非とも半年後にまた覗いてみたくなるものじゃ。

 

⑤の「ともえ」は、『ともえグループ』としては神奈川県内5店舗めの出店である。
以前「コンコルド町田」を買われた縁から、今回もまた「ともえ」殿に売却の話しが行ったのかもしれん。
静岡新日邦の「コンコルド」殿は、今や相模大野駅前のみとなってもうた。
昨年末に社を挙げて造られた「浜松市野店」に全力集中すべく、今年に入って「袋井インター店」「磐田店」「相原店(静岡県牧之原市)」に続き、この「淵野辺店」の計4店を閉鎖ないし売却された訳じゃな。
これまた凄い“背水の陣”の如くじゃ。

道理で「町田店」もこの「淵野辺店」も“気合が入って”おらんだ訳じゃな。
この淵野辺店は立地条件と云い駐車台数と云い、非常に面白い店舗だとワシは思う。
「ともえ」殿に経営が替わられてどこまで伸びるものやら、興味津々じゃわぃ。

 

 

❸ 相模原市中央区といっても結構広い。
しかも最大の幹線道路である「国道16号」は慢性渋滞と云ってもよい状況じゃから、JR横浜線の駅に例えて言わば、〈相模原駅〉を中心とするエリアと〈淵野辺駅〉〈古淵駅〉を中心とするエリアとは、同じ《中央区》と云っても“別の”商圏と考えるべきじゃろう。
とすれば、その中央区でも東半分において、この4年間の間に、◎「キコーナ」◎「AVIVA」◎「ともえ」と、3店の新店が出現したことにより、間に挟まれた「P-ARKピーくんステージ」(953台)は果たして如何なる影響を受けておるのじゃろうか?
久々に懐かしい館内に入ってみる。

オォ、出来てもう23年にも成るというに、つい去年グランドした店であると云っても可笑しくない“アヴァンギャルド”な雰囲気ではないか!
東半分の「ステージ1」の1Fは〈1ぱち〉、2Fは〈5スロ・20スロ〉、そして西半分の「ステージ2」の1Fは基本的に〈4ぱち〉、2Fは〈47枚貸スロ〉という分かり易い構成じゃな。
平日の今日もざっと数えて300人強は入っておるから極めて良好な状態と云うべきであろう。
先ほど覗いた「キコーナ」殿も以前とは見違えるように客が入っておったし、こうしてみると相模原という人口72万強の大都市は、やはりとてつもない奥の広さを持った不思議な街と言わねばならぬであろう。
皆アッパレじゃ。

 

 

❹ 相模原という街は、ひと言で云えば【在日米軍関連の工場の街】という顔と、【横浜・東京の優良ベッドタウン】という2つの顔を持った市といって良かろう。
げんに今でもJR相模原駅の北側は【米軍相模原補給廠】の10万坪にも及ばんかという巨大は兵器修理工場が拡がっておる!
60年近く前のベトナム戦争当時、この補給廠は故障した戦車とかヘリコプターとかの、れっきとした修理工場としてフル稼働しておったもんじゃ。
そして修理を終えた兵器・車両は国道16号で真っすぐ横須賀の海軍基地へ直行という訳じゃ。
今の50歳以下の日本人はそんな事などツユも知らぬじゃろうな・・・

こうして相模原という街は、“産軍共同体”の見本のような市じゃけん、なにかと“おカネ”の回りも円滑なのじゃとワシは思う。
潰れたパチンコ屋の比率も、他の市と比べると少ないのは、こうした経済力に裏打ちされておるからじゃろう。
あぁ、相模原はやはり日本のパチンコの歴史に於いて【永遠の聖地】であることが、改めて確認できた今日の巡察であったぞょ。

 

▼開店から早23年、レジェンド店=[ピーアーク相模原]

▼大型ゲームセンター跡に納まった[キコーナ相模原]

▼シルクロードの後釜に座った[AVIVA淵野辺駅前]

▼コンコルドの跡に居抜き出店[ともえ淵野辺]

▼店名を変えずに福日観光の経営と成った[チャンピオン田名]

カテゴリー: パチンコ,マーケティング,注目ホール,注目市場

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