【播磨の国=姫路市、たつの市:篇】、漫遊記100回となる節目を、小森黄門ちゃま、姫路へ…

小森黄門ちゃまの業界漫遊記 第100回

【播磨の国=姫路市、たつの市:篇】、漫遊記100回となる節目を、小森黄門ちゃま、姫路へ…

ようやく漫遊記も100回目に辿り着いたか。助さん、格さんご苦労じゃったな、ワシの大日本史と同じくこの漫遊記もまだ端緒についたばかりじゃから、これからも宜しく頼むぞ。體の許す限りじゃがな(笑)。そこで100回目の巡察は、平成の大修理を昨年終えたばかりの姫路城をじっくり観るかたがた、常在戦場とも言われる姫路の遊技場のイマを肌で感じて参ろう。

そもそも今の姫路城は関ケ原の戦いで功の在った池田輝政公によって大規模に拡張されたもんじゃ。池田公は若くして織田信長の近習、そして信長公の本能寺での死去の後は秀吉に馳せ参じて岐阜の大垣城や岐阜城主に任ぜられ、秀吉亡き後の関ケ原の戦では、加藤清正らとともに反石田三成側に付いて敵である毛利・吉川本体の抑えの陣を張った故の功績じゃ。関ケ原後も西軍の残党らが西から上って来るのをけん制する意味で、この姫路にかかる巨大な城郭を拡張・整備することをワシの爺様から命ぜられたと言うのが、歴史の裏話じゃ。

それにしても見事な漆喰の真っ白な鷺のような外観の名城であるが、実は「播州皿屋敷」というこわ~い怪談が浄瑠璃として残っておるのを、ソチらも知っておろう。井戸の中から〈皿がいちま~い、にま~い〉と聞こえてくるという井戸じゃ。それもこの姫路城内に在る筈じゃから覗いて参ろうぞぇ。

個性豊かな“尖った”街、姫路!?

❶ 姫路と言う街は、もともと姫路藩→飾磨(しかま)県の中心地であったと言う歴史からも独立心の強い街と聞いておる。明治に成って兵庫県に編入されても、その兵庫県の西の中心都市として、神戸とは何かと異なる政策やら風土が生きておるらしい。

それを一番象徴しておるのが15年程前に華々しくグランドオープンした、網干(あぼし)の「レイズパーク(Ray’s Park)」と、10年程前に開いた姉妹店の「スロットSaloon(サルーン)」の2店じゃろうのぅ。今はもう過去の事を知る人も殆ど居なくなったと思うが、もう時効に近いものも多いので少しだけ溢してみようかのぅ。レイズパークは兎にも角にも“バリバリ”営業で、併設のカフェテリアなどは、店外からも入れることを良い事に、ビール等の販売で一日15万円以上の売上が有ったと言うから開いた口が塞がらんわ(笑)。またサルーンの方はワシがたまたま巡察した折には、イミソーレ30φとかいうslotで70,000枚とか出ておったぞ! こんな営業をしておってもお咎め無しで5年前まで営業しておったと言うから、業界の七不思議の一つに叙しても可笑しく無かろうて。さすがに最後に実質的経営者が逮捕されるときには、神戸から機動隊が店内に突入したそうじゃから、どこぞのテロリスト籠城事件みたいじゃのぅ。

とまあ、極端な例じゃったかもしれんが、姫路の遊技場を語るとき、こうした逸話を抜きにはとても語れんこともまた事実じゃ。まだ有るぞ(笑)。姫路駅前に〇〇〇と言うお店がかつて在った。その店は全台が大東音響とかいうメーカーのマシンじゃった。それだけで察すれば分かるじゃろ(笑)。

何よりも、スロットの4号機時代(~2007年迄)には、姫路という街は、日本一スロットの台数比率が高い街と言っても過言では無かったのじゃ。いまは「ドンじゃら」と名前を変えておる店は、かつて「スロットビクトリー」(401台)の大型スロ専として超高稼働であった。大阪府下にもかくなる大型スロ専など無かった時代じゃ。それの極め付けが前述の大型スロ専「Saloon」(当時524台)の誕生という訳じゃった。10年前当時、丁度わしゃ大阪から江戸に移ったころじゃが、関西にはこんな500台を超えるスロ専なんちゅうものは有りゃせんだ。

それくらい、昔から姫路と言う街は“尖った”ところが随所にみられる個性豊かな街ということなんじゃろうのぅ。

姫路P市場の概要は…

❷ 長々と姫路のことを述べて参ったが、暫く見ぬうちに新店が3店ほど出来て居った。2年前に出来た「マルハン姫路野里」(1,200台)のあと、去年は高砂寄りの海側に「Venus gallery姫路白浜」(720台)、そして今月9月16日にはJR御着駅の西北に「GET GET姫路本店」(828台)という具合に毎年の様に新規店舗が出来ておる。ここでも“姫路の伝統”は健在で、マルハン殿はさすがにP:S=6:4であるが、

・ヴィーナス殿 ――― P360、S360
・ゲットゲット殿 ―― P400、S428

という様に、この2つの新店は、スロット優位な機械選びと成っておる。GET GET殿は元々岡山で、今回兵庫初進出ということじゃけん、“郷に入りては郷に従え”の諺どおりなのじゃろうな。

ここで姫路については、Venus gallery(㈱イクティス)殿とマルハン殿についてどうしても触れておかねばなるまい!

かつて姫路は、コクサイ(国際観光)、モナコ(羽柴観光)、タイヨウ、ラッキー1番ほか、新日鉄広畑近くに、地元の営業者がどちらかと言えば和気藹々と“自由に”営業しており、それ故先般見てきた様に姫路独自の遊技場文化とでもいうものが花開いておった様に、ワシは見ておる。しかるに、関西では神戸市西部に拠点を築いていたマルハン殿が20年程前に、姫路市北部の播但道インター近くに「マルハン姫路」(560台)で進出し、JR御着(ごちゃく)駅近くにも「マルハン御着」を出された頃から、そうでなくても血の気の多い姫路に、更に新たな熱気が漂って来たことが思い出される(※マルハン御着店は、その後ひっそり閉店!)。

もう一つの流れは、元々福岡で「レディ・ラック」の屋号で遊技場もやっておられた溝江建設グループの㈱イクティスが、関西初進出として姫路競馬場近くにまず「Venus gallery花北」(861台)、その後、飾磨(しかま)のイオンモール近くに「Venus gallery姫路」(968台)、「スロパラⅡ」(282台)、「スロパラⅢ」(105台)の合計1,355台、そして昨年「Venus gallery姫路白浜」(720台)を出されるに及んで根本から変わってしまったと言えるのではなかろうかのう。

それはあたかも、姫路城の城主が池田輝政公 → 本多氏 → 酒井氏などへと次々に変わっていったことに比してもよい出来事とは言えまいか。つまりじゃ。今日(御着店を無くされたものの)マルハン殿が、2店舗で合計1,760台。対するイクティス殿が3か所計5店舗で2,936台という状態になってしまい、かつてのコクサイグループやモナコグループがジャンジャン“バリバリ”であった時代の面影ちゅうもんが、すっかり影が薄くなってもうた! という事に改めて感じ入るしだいなのじゃ。いやはや福岡のイクティス殿の姫路へのこだわり、集中力は尋常では無いのぅ。恐れ入った。

興味深いマルハン会長の単独抜き打ち視察

❸ マルハン殿についても面白い逸話が有るんじゃ。なにせマルハン姫路店は出来てから暫くはとんでもない高稼働店で鳴らし、ここの店長はまさに出世コースじゃったと聞く。20年前ワシが姫路駅からこの店に行く為に乗ったタクシー運チャンからとんでもない話を聞いた事がある。なんとその運転手殿は韓昌祐会長を二度も乗せたことがあるというのじゃ!(当時マルハンの店舗の西の極限は姫路止まりであった)。韓会長は京都から新幹線で一人で姫路駅に降りられると、この運転手さんの車で、姫路店、御着店を廻られるという訳じゃ。しかし明石に向かわれる最中には、姫路の店長から、会長が向かっておられると言う電話連絡が明石の店長に入るじゃろうから、そこからはお忍びでは無くなるという訳じゃな(笑)。

なんと孤高のオーナーの姿ではないか。会長が視察に来ることが事前に店長に漏れると、真の店の姿がカモフラージュされかねぬゆえ、秘書にも告げずの単独での抜打ち視察である。御歳85歳に成られた今でも、300店舗の各店に自ら電話を入れられると言うから、余人を以ってしては真似のできぬ情熱じゃ。痺れるのぅ、ワシもかく有りたいものよのぅ。

当時、兵庫、大阪、静岡で拠点展開し、まだ渋谷のパチンコタワーも出来て居らなんだから、姫路が西の最前線という訳だったんじゃなぁ。

❹ やあ~、巡察も終わった事だし、姫路城の天守にでも登ってみるとするか。あっその前に地元の播州信用金庫本店にも顔を出して挨拶をしておこう。播信殿は全国でも珍しく遊技場へ積極的に融資を為され、パチンコセミナーも10年以上続けておられる。この辺りにもここ姫路では遊技業が準・地場産業として見做されておるちゅう証かもしれん。

帰りの新幹線では、姫路名物の「ねのひ弁当」でもつつきながら江戸までの車窓に見とれて参ろう。富士の山が観えるよう、左側のA席を確保してたもれ。

カテゴリー: パチンコ,注目ホール,注目市場

メッセージを残す

メールアドレスが公開されることはございません。