【信州=松本、安曇野:篇】、“大激戦地”と化した松本・安曇野、そして“業界等価”の行方は…

小森黄門ちゃまの業界漫遊記 第27回

【信州=松本、安曇野:篇】、“大激戦地”と化した松本・安曇野、そして“業界等価”の行方は…

水戸で暫し、ゆるりとしようと思うたが、そうもいかなくなった。信州第2の街である松本と、その隣の安曇野で、ちと激しい戰が起きておると忍びの草の者から報告があった故、これから中山道を西に向かって急がねばならぬ。なにぃ、新宿から「あずさ号」という特急列車で行く方が早いじゃと! ま、急ぐ故その乗り物に乗っていくとするか。

それにしても良い名前じゃ。松本の西を瀬音を立てて流れるのが梓川じゃからのう。鱒釣りが楽しめる清流で、何やら旅情をそそるではないか。朝8時半発の「あずさ7号」に乗って2時間47分の列車の旅で松本到着じゃ。「まつもと~、マツモト~」との女の声が到着番線に響いておる。何やら昔の「上野~、ウエノ~」という懐かしい井沢八郎のメロディが思い浮かぶのう。

長野県外企業が立て続けに松本へ進出

1.松本と言うと、昔からJINOS殿の「おもしろ広場100万ドル」「よろこびの街100万ドル」や、「ニチエイ」、「大将軍」と言った地元の老舗や、県下の有力企業「チャンピオン」が展開されておるだけで、どちらかと言うと“のどかな”地域であったと記憶しておる。不思議なのは、県下最強企業の一つである、諏訪の「ニューアサヒ」殿がこの松本には出店しておられぬことじゃ。きっと、塩尻を挟んでお互いにその“領分”を侵さないという何か美しい紳士協定のようなものがいまだに生きておるのかもしれん。

ところがじゃ、そんな県下企業の暗黙の“領分”に割って入るかのようにここ3~4年、長野県外からの進出が立て続けに目立って参った。

・静岡からは ⇒ ABC(714台)
・東京からは ⇒ マルハン(560台)
・名古屋からは ⇒ キング(800台)《※但し南隣の塩尻市》
・そして愛知からは ⇒ ベガス(1,200台)
・更に(今後)岐阜の ⇒ KEIZ殿の進出も有るらしい。

このように、松本盆地ののどかな景色は一変して大激戦地に変身してしもうたわい。

マルハンにおける「業界等価」離脱の流れ

2.問題なのは、なぜこうなるのかであろう。愛知・岐阜にしろ静岡にしろ、パチンコに適した立地はかなり開拓され尽くされた感が漂う。強者が覇を競うがごとき激戦区で商いをするよりは、比較的穏やかな地方都市で商売した方が中味が濃いという理論であろうのう。同じような例は越中・富山の富山市、高岡市でも起こっておる。

ちょうど、長野県遊協では昨年夏ごろに、射幸心を煽らない営業を志して賞品買取所の買取レートを28玉、5.6枚交換にしようと申し合わせたばかりじゃったと聞いておる。しかしじゃ、“県外勢”はその見解には従いかねる! とばかりに、所謂「業界等価」の営業で走っておらっしゃる。

但しじゃ! マルハン殿は県下の大多数の申し合わせに従い、「業界等価」には戻さずに28玉、5.6枚で営業を続けられておる、と聞く。これを、どう謎解きするかじゃな(笑)。思うにマルハン殿は全国に破竹の進撃をされたとはいえ、各県の組合に入らなかったことは無く、かつ組合の申し合わせには従ってこられた。福井や富山あたりから始まった「業界等価」からの離脱の流れを受けて、マルハン殿も1/2近い店舗が「業界等価」をお止めに成った。するとどうじゃ、マルハン殿の経常利益が500億台 ⇒ 600億台に乗ってきたではないか!

多くの論者は、これを〈更なる一層の経費削減と、機械代の圧縮〉の結果と、通り一遍の解説しかしておらんが、ワシはちと異なる。25玉 → 27.5(ないし28)玉、5枚 → 5.5(ないし5.6枚)枚へのシフトが、利益率に大いに反映したことは間違いない事実とみる!

「業界等価」の問題も、然るべき方向へ向かうことを切に願う

3.従って、3月のベガス殿の1,200台という県下前代未聞の大型艦の出店以来の「松本の乱」についても、短期的には“申し合わせ”が破綻した結果となっているが、長期的には然るべき方向へと向かっていくものとワシは信じておる。お上の大目付方も、現在は「釘」問題でホールを責めるよりも、交換する賞品の価値と、買取システムの“闇”に迫ろうとしておるようじゃからのう、ガハハ。とにかく今は目立たず、時の流れに身をまかせていかれるが宜しかろう。

4.さあ、折角松本まで脚を延ばしたのじゃから、天下の名城=松本城に立ち寄るとしよう。この城はじゃな、元々地元の豪族であった小笠原氏の築城した小さな館だったものを、石川数正殿がかような美しい天守をもった名城に造りあげたものじゃ。元々、石川殿は家康じい様と同じく、かつて今川義元に人質にとられた経験を持つ、家康じい様の盟友であったのじゃが、小牧・長久手の戦いの和議の際に爺様方の交渉役として、秀吉さるメと接触を繰り返すうちに、サルめにたばかられて取り込まれてしもうたのじゃ。その結果、天正18年(1590年)に爺様が江戸城に封じられた際に、石川殿もこの松本に封じ込められたというわけじゃ。

時の運とは分からんもので、その後、関ヶ原の戦、大坂夏の陣と、戦国時代を終結させる対戦が関西方面であったにもかかわらず、ここ松本は天下の大戦とは無縁の場所であったがゆえに、この美しい天守は焼けずに現在まで残っておるというわけじゃ。

ささ、松本巡回も終わったゆえ、格別に旨い鱒に蕎麦をお腹いっぱい入れるとしようぞ。天下泰平が何よりじゃ、ガハハ。

カテゴリー: 注目ホール,注目市場

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