【信濃の国=上田市:篇】、真田ゆかりの地、信濃上田を小森黄門ちゃまが行く!

小森黄門ちゃまの業界漫遊記 第59回

【信濃の国=上田市:篇】、真田ゆかりの地、信濃上田を小森黄門ちゃまが行く!

何やらTVでは「真田丸」とやらを大河ドラマとしてやっちょるようじゃのう。要するに、甲州=山梨[武田]、上野(こうずけ)=群馬[北条]、越後=新潟[上杉]、遠江=静岡[徳川]に囲まれた、北東信濃の小県(ちいさがた)国衆にすぎず、大名ではなかった真田昌幸が、知略・政略・軍略の限りを尽くして、本州の中心部に位置する長野県東部を守り抜き、やがては豊臣氏を最終的に滅ぼすことになる大坂夏の陣にて、次男の信繁(幸村)が華々しく戦死するという生き様を描いた大河ドラマじゃ。

地政学的なポイントは、ズバリこうじゃ。

① 上田市の南を、高崎 ➡ 諏訪を経て岐阜 ➡ 近江 ➡ 京都に至る重要幹線路(江戸にはいり中仙道となる)が走っており、この地を押さえる者がフォッサマグナ=中央構造線から東の東日本の運命を左右すると言っても過言ではなかった事(※新幹線、東名高速が出来て大動脈が東海道に成ってしもうた現代人には理解しがたいかもしれぬが)。

② 上田市から北東に向かう上州街道(国道144号)は嬬恋 ➡ 吾妻 ➡ 沼田を経て ➡ 長岡 ➡ 新潟に至る、これまた重要街道であった事。

③ 上田市から千曲川沿いに松代・長野 ➡ 妙高 ➡ 上越(春日山)に至る北国街道(国道18号)は、上杉景勝との重要なパイプの街道であった事。

このように重要な戦略上の要衝に小県(ちいさがた)は位置しておりながら、信濃一国をまとめ上げる大名は居なかったが故に、この真田一族の生きざまは波乱万丈で面白いのじゃ。

その昔1585年(天正13年)、第一次上田城攻めの時は、7千人の徳川軍をわずか2千の兵で守り切り、徳川軍に1,300人余の死者を出させて、真田が徳川軍を退けおった。そして1600年の関ケ原の合戦に向かおうとする3万8千人の徳川秀忠の大軍を、上田城に引き付け翻弄し、ワシの叔父貴の秀忠公が関ケ原の決戦に間に合わないという大失態の原因を作り出したのも、またしても真田の仕業じゃ。そういう訳で我が徳川と信州真田との間には何か言い知れぬ深い縁と言うものがある。

AVIVA出店で上田に地殻変動が…!?

❶ 残念ながらパチンコの世界では、ここ上田が本州のヘソとなるような戦略的意味合いなど更々ないし、むしろ穏やかで県外勢の“侵略”のほとんど無い無風に近い県と言っても過言ではなかった。じゃが、2ケ月前に神奈川の「AVIVA上田秋和店」(808台)が出店するに及んで大きな地殻変動が起きようとしておる。北条氏の本拠の在った神奈川{AVIVA}の光山氏の出店に対し、3年程前には尾張名古屋の名東「キング」(720台)の権田殿も、この上田に城を築かれておる。あたかもその昔、真田殿が、武田信玄 ➡ 織田信長と主君を変えて後も、北条、上杉へと、コロコロ同盟・臣従を変化させざるを得なかった歴史の到来を予感させるものがある。

AVIVA上田秋和店は、市街地の西北のはずれと言ってよい立地じゃ。しかも山を背にして、幹線道路から一本道で100mは入らねばらぬという視認性の悪さである。元の店であった「パゴパゴ」の時も、その見通しの悪さ故720台の箱にも拘らず大苦戦しておったようじゃ。地元のパチンカーですら改装休業に入った際も、恐らく“失敗”すると感じておったようじゃ。じゃが結果は“大成功”じゃろう。なぜ地元の予想が裏切られたのか? よく考えて見にゃならん。

全国を行脚してみて感ずるが、数年前からパチンコ店という“城”づくりの常識も変わってきた様に思うことがある。マーケット環境が良ければ、視認性悪く、引き込み道路がたとえ1本しかなくとも、「ブランド力」「営業力」の強力な人がその“城”の主となると、難攻不落の城に化けるということを。例えば大阪・吹田の南端の「キコーナ吹田店」などはその良い例じゃろう。また埼玉・川越や所沢の「マルハン」なども(視認性は良いものの)、出入り口が1ケ所のみ! というアクセスながら成功しておる。つまり“地型”よりも、市場ロケーションと看板力が集客力を決める時代に入ったのではあるまいか。

ロードサイド店“銀座”、上信越道の上田I.C.周辺

❷ ところで、上田で最高の遊技場エリアと謂わばやはり何と言っても、上信越道の上田I.C.周辺じゃろう。国道18号と144号が交差するロードサイド店“銀座”であるこの中心部には、「100万ドル」(800台)、「ニューアサヒ」(574台)、「パゴパゴ」(383台)の長野県勢が勢ぞろい。ここは1年前にグランドした100万ドルの基幹店舗とあって、流石に一歩先行しておる。

ここの「パゴパゴ」は相対的に規模は小さい故苦戦しとるが、ワシだったらパラッツオ殿の様に低玉専門館で勝負にでてみるがのう、ガハハ。

❸ そして、市街地の東南に4年程前だったか出店された「キング」(720台)も相変わらず盛業じゃ。名古屋の名東キング殿と言わば元々中京圏のキンググループの“元締め”の様な名門であると心得ておるが、久々のここ上田、而して(読み:しこうして/意味:それから)塩尻と長野に2店舗を拡げられた。あたかもそのむかし織田信長殿が天下布武を進めるべく、越後の上杉に備えて配下の森長可、滝川一益を配置された事と二重写しになって感ぜられるのぅ。キング殿のロケーションは上田市南東部にて独占と言える立地なゆえ、当面は所領安堵であろう(笑)。

このように改めて戦国のヘソともいえるこの信州上田を歩いてみると、今更ながら、我が爺様の宿敵のライバルであった真田昌幸という人間の、地の利を尽くした深慮遠謀のさまがよく分かるといういうものじゃ。世が世でなければ、ワシも信繁(幸村)のように昌幸の子供で産まれてみたかったわい、ガハハ、冗談じゃよ。

AVIVA上田秋和-1

「AVIVA上田秋和店」の出店で上田の地に地殻変動が起きようとしている

100万ドル上田インター-1

基幹店舗として一歩先行する「100万ドル上田IC店」

 

カテゴリー: パチンコ,注目ホール,注目市場

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