【琉球国=那覇、豊見城、浦添、宜野湾:篇】、ここ1年における変化を察知、琉球巡察再び!

小森黄門ちゃまの業界漫遊記 第69回

【琉球国=那覇、豊見城、浦添、宜野湾:篇】、ここ1年における変化を察知、琉球巡察再び!

ちょうど1年前であった。沖縄に大きな変動が起こりそうな空気を感じ取って、さらっと観光気分で那覇周辺を回って、夜は歓楽街の松山で豚の耳などを肴に泡盛の白百合の古酒に朝まで酔いしれたことが思い出されるわい。あれから1年が過ぎて状況は急激に変化してきたようじゃ。

折しも今の安倍内閣において、隣国(?)中国との関係がかなり緊張しておる。日中間では田中角栄、周恩来両首相によって、尖閣諸島の領有問題が棚上げされてきた筈なのに、お互いのナショナリズムが政治的(マスコミ的)にフレームアップされてきた勢で、一歩間違えば一触即発とも言える緊張状態にある。3月28日には日本の領土の最西端である「与那国島」に陸上自衛隊「与那国沿岸監視隊」を発足させ、160人の自衛隊員とその家族約100人が与那国に住み着いた。今後さらに石垣島にも自衛隊員、家族併せて700人程が配備されるというではないか。現在は沖縄本島に在日米軍と並んで自衛隊の航空機が駐留しておるが、なにせ沖縄本島から、この先島諸島までは400kmも離れとるゆえ、今度の石垣島への自衛隊配備計画は2020年以降の南西諸島の大きな変化に繋がることは必定であろう。それはさて置き、沖縄本島の遊技場にも、この1年でちょっとした変化が有った。

今や、沖縄県は内地出身者が遊技場市場の主力を構成!?

❶ まず、「J・PARK」というチェーンが4店舗、『サンシャイン』=OHTAグループの傘下に入ったことが挙げられよう。これで「ジャンボ」3店と併せ沖縄県内25店舗で、県下最大店舗数の地位を強固にされた。

もう一つの動きは、宮古、久米島、石垣の離島から沖縄本島に勢力拡大中の『P-time』グループが、新たに「もとぶ」と「与那原」の2店を立ち上げ、計12店舗となり、OHTAグループに次ぐ勢力として増殖中である。

それと案外みんな見落としておるが、『AMS(アムズ)』グループは、沖縄県内は6店舗ながら、4~5年前からなんと東北地方への進出を加速中で、宮城県6店、福島郡山に1店と計7店舗を出店され、沖縄と合わせると計13店舗と成っておる。

❷ アムズ殿と逆に、沖縄県への本土資本の進出も最近目立ち、これまでも大分の『エル』=ビープラスグループが那覇、宜野湾と計2店舗500台超の大型店を出しておられる。

ところが今年最大の話題は、那覇の南の豊見城市に560台×2のW店舗で1,120台の規模で出店される、札幌の『正栄プロジェクト』の「イーグルR-1」であろうぞ。北海道から沖縄へ! と言うと正直ビックリするかもしれぬが、なーんにも驚くことはない。「イーグル」の美山社長は昨年末に福岡の大宰府に無事“上陸”済みで、間もなく大阪市十三駅前にも出店され、全国企業へと発展中であられる。考えてもみぃ、冬は氷点下10℃以下にもなる氷の北海道で鍛えられたイーグル殿じゃ。冬でも最低気温が5℃位の沖縄は、北海道のパチンコ企業からすればまさに別天地であろうぞ。

この流れを食い止めることは、なんびとできぬ! と言うのが道理というものではあるまいかのぅ。ワシが聞いとるところでは、北海道の他の某大手も沖縄出店にたいそう興味津々とか。ま、AMS殿が、温かい沖縄から、寒い宮城、福島に行かれたのじゃから、その逆が有っても何も可笑しくはあるまい。

❸ 少し冷静に今の沖縄の遊技場事情を見てみると、実はOHTAの太田オーナーも祖先は愛知県、p-timeの木村オーナー殿も元々は福岡県、おそらくAMSの清水オーナー殿も、ご苗字から推測するに沖縄県外のかたではあるまいかのぅ。さらに見ていくと、「M’s」=『モナコ』グループの川畑殿のご苗字も沖縄風ではないし、「はなまる」=名宝グループの藤野殿も元を糺せばOHTAグループと同じ愛知三河のご出身じゃ。

こうしてみると、沖縄県の遊技場事情と言うのは今は内地=ヤマトゥからの出身者達で主力が構成されておると言っても過言ではあるまい。案外こうしたことは、内地の人間は知らぬじゃろう。

戦後27年間、米軍政下にあったためか、特殊な沖縄パチンコ事情

❹ ところがじゃ、最近、佐野眞一氏の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史上・下』を読んでみて、実に驚くべきことに気づかされた。1945年の日米沖縄戦 → 米軍沖縄上陸 → 米国政府による1972年沖縄返還まで実質統治下において、沖縄にはアメリカからスロットマシンがもたらされ、本土にパチスロなるものが全く無い時代からスロットマシン文化・風俗が物凄く活況を呈しておったようなのじゃ。

特に60~65年頃のべトナム戦争の頃は米軍キャンプに近い、コザ市(現:沖縄市)、宜野湾市などの盛り場では、「Aサイン・Bar」(※米軍公認の飲食店)が連夜大賑わいで、一晩の売上の$紙幣をバケツで踏みつけねばならぬ位であったという“武勇伝”は今も健在である。米兵の喧嘩、婦女暴行も頻発で、店の“用心棒”として、琉球空手などで腕っぷしの強い男が必要とされるし、“あぶく銭”の消費場として、slot店も大層賑わったようじゃ。書きにくい事じゃが、“その筋”の稼業の者の中にはパチンコ(slot)店を経営する者もおったし、遊技場の賞品業者に、(本土復帰前の)琉球警察OBの人も結構おられたということらしい。

よく〈沖縄のパチンコ事情は特殊である〉と言われるのは、戦後27年間も米軍政下で、しかも朝鮮戦争、ベトナム戦争の出撃基地として、日本本土では考えられもしない凄い社会状況の只中にあったゆえ、本土の常識では測り切れぬ所が多々有ると言うことなんじゃろう。

いまだに沖縄ではパチンコ店を新規出店する場合、設置台数は560台までという“ルール”が厳然と生きておると言う。この度の札幌の「イーグル」殿の出店も、560台×2のW店舗という許可申請になるようじゃのぅ。沖縄県警独自の“指導”がそこには厳然と存在しておるようじゃ。因みに、嘗てはどうであったかは別として、暴対法、暴排条例が施行されておる今日では、“暴力団”による「みかじめ」等はここ沖縄でも在るよしも無いが、店の工事、資材・賞品調達などに地元業者を優先的に活用せねばならぬことは、おそらく暗黙の了解であろうのぅ。

歴史、地理をも含めた理解から遊技機場市場を考えたい

❺ 佐野眞一氏の本には、いち早く日本復帰を果たした「奄美大島」出身者が、米軍施政下のここ沖縄では、逆に徹底的に差別され、沖縄人(うちなんちゅう)よりも更に極貧の生活を強いられたことまで詳しく触れられておるが、ここではこれ以上触れまい。

それよりも、1945年、沖縄を焦土とした沖縄地上戦を日本本土防衛のために犠牲を強いられた沖縄において、戦後、沖縄人(うちなー)の遊技場経営者 → 本土から進出した在日系の遊技企業に“主導権”を渡さざるを得なかったという流れの方に、ワシは問題意識を持った今回の巡察であった。なにごとも、表層だけで評論するのではなしに、歴史、地理も含め深くその意味合いを理解するのではなしには、何一つ真実は分からぬ! という事を、沖縄の遊技場は暗に物語っているようじゃ。

そうじゃ、奄美のことをふれたので、急に大島へ行ってみとうなったわい。思い起こせば助さんと20年以上前に奄美に行ったことが懐かしく思い出されるのぅ。街中の100台の店に入ったとき、中に1人しか居なかったもんじゃから、店の人に「今日は定休日ですか?」と尋ねてしもうたことが懐かしいわい。その後その店は、助さんの支援により奄美一番の店に変身しよったのぅ(笑)。

どうじゃ助さん、懐かしいじゃろう。今度奄美に行くときは、古仁屋の海に潜ってみようぞ。そして、屋久島にも立ち寄って、大阪のアロー殿がやられている『サンカラ・リゾート』のスウィートで連泊してみようではないか。なあに心配することは無い、大阪の平川殿に良しなに言っておくけん。

カテゴリー: パチンコ,注目ホール,注目市場

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